そこにはない、痛み
今はリハビリに週2〜3回通うのと
持病のメンテで通院する他は
最低限の家事と事故の後処理を
のんびりやっている毎日で、
手続き関係も片づいてきたし
体を動かせるようにもなってきたので
こうしてブログを書いたり、
いろいろなことをふと思い出したり、
自分の中の未消化だったものが
ふっとほどけていったりしています。
わたしがセラピーとかスピリチュアルの業界で
セッションをするようになってから、10年ぐらい。
きっかけは、
父をはじめ身内が立て続けに亡くなって
リストラに遭い、
ついでに結婚がどうこうという話が出ていた相手と
お別れして…と、
それまでの生活というか人生を構成していたものが
一気になくなったからでした。
その当時、
「今の状況を克明に日記につけるといい。
あとでブログやセッションに使えるから。
後になってからだと細かいところを忘れるし
そこにこもるものも違ってくるよ」
というアドバイスをたくさんいただいたのですが、
あの頃のわたしは
とても文章に残す気にはなれませんでした。
この間リハビリの先生と話していて、
「骨がきちんとついても
傷が治っても痛みが残る。
痛みを記憶してしまう」
みたいな話が出て、
人の心も同じかもなと思いました。
その出来事は、とっくに過去で。
相手がいるわけでもないのに。
痛みだけは、なまなましく繰り返す。
そこには、確かに「ある」んだなと思います。
今のわたしの体は、
外傷がなかったはずのところまで激痛という
謎の状態なのですが、
「痛いものはしょうがなくない?
根性出しても動けないものは動けないんだし。
とりあえずもう、
目の前のことを淡々とやっていれば
おさまるべきところにおさまるでしょ」
という気持ちでいます。
わたしがこの10年で育てられたのが
痛みと闘って打ち勝つ手段ではなく、
力技で障害をねじ伏せようとしない器
だったなら良いなと思っています。
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